人生の岐路で「本当の個性(ジブン)」と出会い、自分らしく生きる一歩を一緒に踏み出すライフデザインコーチ坂田芳弘です。
突然ですが、私は1955年生まれです。
戦後の復興期という位置づけになるかと思いますが、学生運動が盛んな時代でもありました。
学生が共闘して戦っていた、その目的は自由を勝ち取ると言うことだったのです。
目次
自由ってそんなに大切なもの?
これが私の青春時代に思っていたことなのです。
戦って勝ち取るほどのものなんだ!って
でもそのうち学生運動も激しさが増し、飛行機をハイジャックしたり人質を取って山荘にこもったり、仲間をリンチしたり。
私の中ではそのうち、自由っていう言葉がそれほど良くないものに思えてくるようになっていました。
学生時代の私が良く読んでいた本があります。
大抵、自殺した人の手記のようなものでした。
樺美智子さんの「人知れず微笑まん」
高野悦子さんの「二十歳の原点」
奥浩平さんの「青春の墓標」
戦後の復興期を迎え、自由な時代になったって言われながらもこれほどまでに自由になることってすさまじいことなんだって感じていたのです。
次第に自由というものの良さから遠ざかっていた私はそのうち音楽にはまりだしました。
そして出会った歌が、これまた自殺したジャニスジョプリンの「ミー・アンド・ボビー・マギー」でした。
その歌詞の一節にはこうありました。
「失う何もない、それが自由 価値ある何もない」
「ボビーが歌うブルースと相棒と それさえあれば」
という歌を聞いて思いました。
自由なんていらない!
その頃の私は結婚して、子供もいました。
そんな私には「失う価値のあるもの」があったのです。
失う何もない、つまり、私が守るべきものが何もない自由なんて私には必要ない。
自由ではないかも知れないけれども、「守る価値あるものを持っている私」は自由はなくても存在価値はある!
と考えるようになっていました。
時は過ぎて、会社を定年退職してから出会った人の言葉に私は愕然としたのです。
自由の本当の意味は・・・
自由と言うのは自分で選ぶ理由があるんんだということ。
そして自分で選んだことに対しては責任を持つことが自由の意味なんだと。
社会にはインターネットが普通の道具として生活に溶け込んでいる今、昭和の時代に価値があるとされた「物知り」な人ではなく、新たな価値を生み出せる人が求められていることを知りました。
それは自立する人。
親が敷いてくれたレールの上をひたすら走り続けた自分にとってはまさしく目からうろこが落ちた瞬間でした。
これまではなかなか人に聞きづらかったこともインターネットをググってみれば答えは見つかるのです。
ただ、自分が感じていることに対して合致する答えかどうかは別ですがね。
これからは知識が豊富な人に価値があるのではなく、今ある情報を組合せて新たな価値を創造できる人が求められています。
そのためには自由っていう考え方、つまり、自分が行ったことにより起こった結果に対して責任を取るのが自由な生き方なのです。
ここまでになって初めて自由に生きることの意味がわかりました。
自立した生き方をすることが自由に生きると言うこと
自由に生きることは自立した生き方をすること。
それは自分が取った行動の結果、起こったことに対しては自分に責任があることを自覚して生きることなのです。
考えてみれば人として生きるためには当たりまえのことなんですが、これまでそのあたり前な生き方ができていなかった私のような人も多いと思うのです。
ぜひあなたは今から自由に生きてくださいね。
そして自立した人生を楽しんでください。
ひとりでは難しいようなら、私がお手伝いさせていただきますから。